今日は満月。天秤座の満月です。太陽が牡羊座に春分の日から入っていて、この満月は、牡羊座の太陽に明るく照らし出されています。東京地方はきれいな月が昨夜から見られます。今夜もきっと美しいことでしょう。
牡羊座は、みなさんもご存知の通り、占星術上の年の初めの星座で、ものごとの始まりを現します。守護星は火星で、闘争心、開拓精神、無邪気さ、唐突さ、冒険、好奇心、そして独立心などを現します。一方、天秤座は、協調性、美、パートナー、バランス感覚、平和、正義、純粋さ、穏やかさ、知性などを現します。守護星は金星。そう、反対に位置する星座同士です。この二つの星座が地球をはさんで真反対のところで輝き合っているのが今夜の月と太陽の関係なのです。
なにを意味するか?ですよね。
わたしの経験で象徴的な話しがありますので、それを書いて行こうと思います。まず、牡羊座から。
以前、ある男性にわたしはふられたことがあります。ほんの少しだけおつき合いをして、言われました。「僕は君のことをそれほど愛していない。」・・・が〜ん!でした(笑)。「は〜、そうですか」としか、わたしは返す言葉がありませんでした。仕方ありません。人のこころはいかんともしがたいものですし、わたしに魅力がなかったのね、と諦めました。ところが、彼が後に言った言葉に猛烈に反発を感じました。「君を傷つけてすまないと思っている」わたしは一気に彼に幻滅し、言いました。「ヒーロー気取りをしないで欲しい。何様のつもり?」優しい言葉をかけたつもりの彼はあっけにとられていて、わたしがなにに腹を立てているのか、なにに幻滅しているのかさっぱり分からない様子でした。みなさんの中にも、もしかして分らない方がいらっしゃるかもしれません。
ご説明いたしましょう。これが、牡羊座の見解です。
人は自分を愛していれば、人から愛されるか愛されないか、で傷付くことはないのです。わたしを傷つけることができるのは、究極的には自分だけです。オヤジもいるし、おばさんもいるし、乙女もいるし、ちゃんと食べていないとすぐ不機嫌になるし、寝不足だと朦朧とするし、短気だし・・不完全でアホなわたしですが、わたしはこんなわたしを愛していますから、彼がわたしを愛さなかったくらいで、傷付いたりしません。
もちろん、とても寂しかったし、悲しかったです。一瞬、自分を疑いもしました。そして、一緒にご飯食べたり、ゴロンとしてテレビ見たり、くだらない話しをだらだらベッドでし続けたりできないんだ・・という現世的な苦しみもありました。けれど、わたしはわたしを愛しているし、わたしは彼も愛していたから、傷付きはしませんでした。そこに嘘はなかったからです。もし、これが逆だったら苦しかったでしょう。愛してもいない人と一緒にいたら・・。
そういうこと、わたしはしたことがあります。以前にも書いた、ベッカム/ボンジョビ顔の元カレと一緒にいた時です。「愛していない」と知りながら一緒にいたあのときは、自分の不誠実さに、自分への愛と自信をどんどん失い、傷付きました。けれど、この時は違いました。わたしはこの人を純粋に愛していたし、そんな素直な自分が好きでした。
それを、「傷付けてごめんね」なんていわれると、あなた何様のつもり?と、言いたくなります。って言うか、言いましたけど(笑)。ボクがこの女性を愛してあげないとこの人は傷付く、と思うなんて、はっきり言って傲慢です。そんなことを言う彼に傷付きました。わたしが自分の人生を自分で歩けないくらいバカだと思っているのか、と聞きました。彼は混乱していたみたいで、なにも言いませんでしたけど・・。
よく「人に愛される方法」などと書いた雑誌や本が巷にはあり、愛されることこそが人生の価値を決める、みたいに思われているところがあると感じます。多分、彼もこの法則にのっとって生きていたのでしょう。だから、こんなことを言ったのかもしれません。しかし人は、他者に愛されるか愛されないか、で価値が決まるものではないと思います。もちろん愛されると嬉しいです。けれど、それがその人の真価を決めることはできません。だって、他者はその人のすべてを知ることは絶対にないのですから。また、子どもが親の愛情に恵まれることは、大切です。その子に生きる道筋と自信を与えるからです。しかし、子どもは大人になったら、親がいなくても自分で自分を愛すことができるようにならなくてはなりません。反抗期があるのはそのためです。そして、それが牡羊座のテーマなのです。独立して自分の足で歩き、自分で感じ、自分でころび、自分で起き上がり、自分で冒険し、自分で自分の限界と可能性をしること。他者に愛の依存をしないこと。他者に自分の真価を問わないこと。そして他者に己の存在価値を認めてくれることを求めないこと。人に憎まれようが、嫌われようが、愛されようが、愛されまいが、どうされようが、自分の誇りと自己愛を見失わないことです。
まず、自分の足で立ち、自分を愛し、そしてなにより、信じること。これが、牡羊座の目指す道です。
さて、一方の天秤座は、ある特定の人と愛の関係性を築くことにより、自分と、そして世界を知って行くことを現します。これには、牡羊座の独立精神がまず必要となります。相手に依存する愛は、決して天秤座の求めるバランスのある関係性は築けません。しかし、自己愛があったら、他者とも素晴らしい関係を築くことができます。一人ではなし得ない愛を知って行くことができます。1たす1は2ではなく、1たす1には無限の愛の可能性があることを知るのです。そして、その過程で自分自身への理解もますます深めて行くのです。
けれど、これが難しい世の中になっていると感じます。まず、愛される人になりたい、と思う人が多いからです。牡羊座のプロセスを踏んでいない人が多いのです。そして、愛を勘違いしてしまう人も多いからです。愛とは、自分と全く同じ相手と出会うことだとどこかで思っている人が多いからです。他者と自分に相違点があると慌てたり、劣等感を持ったり、英語で言うfreak out、切れる人が多いのです。たとえば・・・
ある女の子が、これから結婚する男の子と一緒に暮らし始めました。家事は彼女が主に担っていて、ある日お料理をしていたら酢がきれていることに気付きました。そこで彼女は彼に頼みました。「お酢買ってきてくれる?」彼は快く承諾し、近くのスーパ−で買ってきました。ところが彼女は怒りました。「なんで、米酢なんて買ってくるの?酢って言ったら食物酢に決まっているでしょう!?」もの凄い勢いで、その不満を周りのわたしたちにもぶちまけました。「信じられる?米酢を買ってきたのよ!」わたしは驚きました。わたしも食物酢は買わないからです。アルコールなどが入っていて、信用できないからです。だから、食物酢が当然、と言いきる人がいることにまず驚きました。次に、自分が思うものを買って来なかっただけで不満を持つなんてどういうことだろう、と思ったのです。人間はテレパシーをいつも使っているわけじゃありませんし、すべての人は違う環境で育っているし、持って生まれた感性も違うので、みんな同じようには行動しません。それは自然の摂理です。しかも、彼女は「酢を買ってきて」と言ったのであって「食物酢を買ってきて」とは言っていないのです。だから、彼は彼にとっての酢を買ってきただけです。しかし、米酢を買ってきた彼に対して、猛烈に彼女は不満を抱いたのです。彼女の意見を平たく言うとこうなります。「あたしと違うことする人なんて、ありえない。」大人の人間として不自然なだけではなく、自己中心的で幼稚だと感じました。
ところが、こんな人は珍しくありません。言わなくても分るだろう、とか、そんなの当然じゃん、とか、これ常識だよ、とか、すぐに言います。そして、自分の常識や当然と違う行動をする人がいると、相手を罵倒したり、責めたりします。世の中で蔓延しているいじめや仲間はずれというのは、自分と違うものを受け入れられない頑で偏ったこころから来ていると感じます。このような現象を射して、ある人が現代人には寛容さが欠けている、と言っていましたが、寛容さ、なんて生易しいものではないと感じます。人はみな違うのだ、という事実を認識する能力に欠けている、と観察しています。彼女のような人は、わたしの実際に知るだけでも沢山います。女性にも男性にもです。とても狭い世界で生きているようです。
それは、他者という広い世界にこころを閉ざしているからだと思います。この話しの場合だと、この彼はなぜ米酢を買ってきたのでしょう。彼には彼のストーリーがあると思うのです。彼のお母さんが作っていたおすしの思い出があるかも知れません。子どものころお使いに行って近所の食料品屋のおじさんにすすめられたのかも知れません。それを探ることによって、人によって酢ひとつをとっても、沢山の思いとイメージと旅があることを知ることができるはずです。自分の中のストーリーを振り返ることもできます。そういえばなぜ、自分にとって食物酢が良いのだろう?一気に世界が広がることでしょう。
天秤座は言っています。人と対話しましょう。恋をしましょう。こころを開きましょう。あるがままの互いを見つめましょう。違いを受け入れましょう。喧嘩はやめましょう。批判もやめましょう。互いの中の愛を認め合いましょう。そして、信じましょう。
天秤座は、天秤、に現されているように、バランスをとることを求めます。平和の象徴です。しかし、バランス感覚は平らな地には養うことができないことをみなさんはご存知でしょうか。
現代人の体のバランスはとても悪いものです。道を歩いている人々を見れば分ります。きれいにバランスをとって歩いている人はほとんどいません。病院も慢性的な体のアンバランスから来る怪我や病気の人で溢れ返っています。けれど、アフリカに行くと、素晴らしく美しく歩くひとたちばかりです。みんなとても奇麗なバランスの体を持っています。理由は単純です。それは、アフリカ人はでこぼこ道を歩いて生活していて、日本人はいつも平坦な道を歩いているからです。ほとんど歩かない人さえいます。体のバランス感覚というのは、でこぼこの道を歩いて始めて、だんだん体がその中からバランスを見つけて行くものなのです。しかし、いつも平らな道を歩いていると、筋肉や感覚神経がバランスを覚える機会を与えられないので、バランスそのものを知らない、鈍感でバランスの悪い体になるのです。
これと同じように、バランス感覚のとれたこころを養うには、でこぼこ道を歩く必要があります。誰かに、ときどきハートがこなごなになるような恋愛をしたり、勇気を出して気持ちを伝えたり、自分をさらけ出したり、思いを交わし合ったり、言葉を交わし合ったり、抱き合ったり、笑ったり、泣いたり、ときには怒ったり、忘れたり、じんわり思い続けたり・・そうして、こころの筋肉と感覚神経がバランスをとってゆくことで、その人にとってのこころのバランスを学んで行くのです。人にはそれぞれの幸せと平和のバランス感覚があり、それは経験を重ねて行くことによってしか知ることができないのです。そう、愛と平和は、人生のでこぼこ道を歩くことによって初めて学ぶことができるのです。
けれど、平坦な道ばかりを歩き、理想の愛を頭だけで描き、小さなかすり傷さえ負うことを恐れるようになってしまった現代人は、この天秤座のメッセージをなかなか受け入れることができません。お隣の人と声を交わすこともできず、誰かを本気で愛すこともできない人が多くいます。
このアンバランスを変えるときが来ています。世の中は急激に変わっています。大きな事件が毎日のようにたて続けに起こっています。円高や世界経済の先行き不安定、アメリカ兵士による殺人事件やイージス艦の衝突をはじめとする軍関係の事件、チベットでの暴動、日銀総裁の不在、政府の混迷、イラク戦争の泥沼化、混乱する中国で行われるオリンピックそれに対する諸外国の姿勢、激しい風と雨の吹き荒れる季節の変わり目・・・。価値観と価値観がぶつかり合い、なにが正しくてなにが正しくないか、なにを信じて良いかも分らなくなっています。そして、何度も繰り返すように、星の動きも、マヤのカレンダーも大きな動きをしています。一寸先は闇と感じたり、これから先、一体なにがどうなるのか分らない、と不安を抱えている人が大勢いることと思います。
こんな時にこそ大切なのは、まず自分の愛を見失わないこと(牡羊座)、他者とのかかわり合いの中で愛を育む勇気を持ち続けること(天秤座)、です。そうすればどんな世の中でも状況でも、こころのなかの愛と平和のバランスをひとりひとりが見失うことはないでしょう。そして、ひとりひとりが愛と平和をこころに持っていれば、世の中はそのエネルギ−で満たされ、愛と平和へと導かれて行くことでしょう。
この満月に深呼吸をし、自分は自分を本当に愛し、信じているか。そして、今こころから愛する人はいるか。または愛する用意はあるか。自分自身に尋ねてみるのが良いと思います。
今度の牡羊座の新月(4月6日)には、わたしは東京におそらくおらず、ブログを書くこともできない状況下にあると思うので、今回のブログは特別長いものとなりました。牡羊座と天秤座の両方を書いたからです。
わたしは、牡羊座の太陽が求めるように、自分の足で歩き、自分の限界と可能性を探り、自分は誰かを改めて見つめるために、再び四国へ歩き遍路をしに行こうと計画しています。そして、星星のメッセージがあなたにも届くことを、愛と平和でわたし自身と世界が満たされることを、訪ねるすべてのお寺で祈って来るつもりでいます。
長いブログとなりましたが、みなさんご機嫌よう。良い月夜をお過ごしください。
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