どこのお寺も、宿坊も奇麗でした。大きなお寺もいくつかあったのですが、すみずみまでこころが行き届いていました。あれだけの広さを寺の中も外もきれいにしておくのは並み大抵のことではないだろう、と感心しました。鯖太子の表回りの掃除は、近所のおじいさんが、ずっと毎朝、無償の奉仕でしているそうです。「お太子さんのため」と言っていましたが、続けるのは容易なことではありません。素晴らしい人がいるもんだ・・と感動しました。
奇麗なところに奇麗なエネルギ−が集まると言いますが、そうなんだろうな〜と思い、自分の家を思い返して反省しました。メチャクチャ汚くはないのですが、すみずみまで奇麗か・・というと違うな〜、と思い、家に戻ってきたとき、中に入るのが少しためらわれたほどです(笑)。
で、すぐに掃除しました。昨日もしましたが、今朝は早くから起きて、外に溜まっていた資源ゴミを一掃し、ベランダを掃き、家の中の空気を入れ替えました。四国で使った雨合羽やトレーナーの上下、下着なども全部洗濯しました。
資源ゴミの紙は随分前から溜まっていました。足が悪くて重いものが外に出せなかったのもあり、しばらく出さないでいると、どんどん溜まり始め、大きな山になっていたのです。それが、留守中に吹いたらしい強風でベランダ中に散乱していて・・すごいことになっていました。しかも、そこに近所の猫が気持ち良さそうに寝ていて・・。ため息ものでした(笑)。
歩き遍路をすることは「こころを清める」ことだ、とどこのお寺でも言われました。人間は、知らない間に自分の中にゴミを溜めてしまいます。捨てるのがもったいなかったり、別れが惜しかったり、先が不安でしがみついたり、過去のトラウマに捕われていたり、まちがえた義務感だったり・・・もうとっくに捨てても良いはずのものが、溜まっていることがよくあります。そして、思わぬときに嵐が来て、大散乱を起こしたりします。我が家の紙のゴミのように・・・。
わたしは、ポストに投げ込まれるチラシから、お菓子の箱から、そしてメモ用紙まで、紙という紙はすべてリサイクル用にとっておきます。けれど、これだけの紙ができるのに、どれだけの木が切り倒されるのだろう・・と悲しくなりました。紙は便利だし、それはそれで良いけれど、こんなに大量のゴミになるほど作らなくてはならないものだろうか。お寺で掃除していた人たちは、木の葉をかき集めたり、埃を拭ったりしていましたが、都市生活をしていると、人間が作ったゴミを処理することのほうが断然多い。
人間のこころも同じだな、と思いました。人間は、勝手に自分で自分の中にゴミを作って、それを溜め込み、病気になったりこころのバランスを崩したりするのではないだろうか。どうしようもない人間のサガのひとつではあるだろうけれど、できることなら自分でゴミを作らないよう、もし作ってしまったら早めに掃除して、なるべくシンプルに生きたいな。そう思った朝でした。
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上の写真のおじさんとおばさんは、最岬寺(ほつみさきでら)というお寺の山道を掃除していた方々です。


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