明日はサソリ座の満月である。今年は、今月と来月、二回ともサソリ座の満月だ。サソリ座は死と再生を意味する。性も生も。今日、ここでは詳しいことは書けないが、わたしはひとつのことに終止符を打った。ずっと、どこかにひっかかっていたクモの巣のような、取り入れ忘れた洗濯物のような、出し忘れていたお弁当箱のような・・そんなものがスッキリ片付いたような事件がおきた。小さな死である。新しく一歩を踏み出すために、わたしは多くのものを最近捨てているが、そのひとつのような気がする。
一日中風が吹き荒れ、空は曇っていた。家に戻ってきて、軽くなったこころを抱えて、薄暗い庭を見てふと思った。闇を見つめればいい。わたしも、これを捨てるのに何年もかかった。ずっと、周りの人の幸福や、人を傷付けないことばかりに気を配り、本当に自分がやりたいことを遠慮していたし、言いたいことも我慢してきた。けれど、今日は限界だった。それで、そんな過去の自分と、自分に合なくなった環境を捨てて帰ってきたけれど、これには勇気がいった。誰かを傷つけるのではないか、という恐怖はわたしの中に根強くあるからだ。しかし、暗い庭を見て、思ったのだ。
闇は誰の中にもある。それが悪いのではない。それをないことのようにしたり、逃げたりするからひかりが分らなくなるのだ、と。
チベットの僧たちの修行のひとつにあると言う。死の恐怖を乗り越えるために、死を見つめる修行だ。なにをするかと言えば、墓場にひとりで行くのだ。チベットは土葬でも火葬でもない。鳥葬である。要するに、死体を野に置き鳥に食べさせるのだ。なので、彼らの向った墓場というのは、あちこちが食い荒らされた死体のごろごろするところなのだ。最近では、チベットの墓場の様子も変わっているそうだが、これが伝統的な墓場だそうである。薄暗く、腐りかかり、食い散らされた人間の死体がごろごろする中に、多分悪臭もする中に一晩中座ることが修行のひとつだそうである。(日本でも、野に死体を置く風習は古来あったらしい。熊野のほうでは、そんなに古くない昔まで行われていて「死の国」と呼ばれていたそうである。)
チベットの若い僧たちは、自分たちがいずれはなるその姿を見て、ガタガタ震えるそうだが、生きる事の意味をそうやって学んだそうである。わたしは、自分が夜の闇の中、ひとりでその墓場に行く姿を想像してみた。ぞくっとした。子供のころから、自分が死んだらこの体は・・・と思って、体を触ってみたことが何度もある。この皮膚の下にある肉、その下にある骨。この顔も肉もすべてがなくなったら、頭蓋骨になる・・。目の周り、口の周り、なぞってみた。ウジ虫に食べられ、土に帰って行く自分の肉体を思った。怖かった。
闇の世界である。押し入れに入って闇の中にいたこともある。布団の中の闇を見つめたこともある。田舎の夜は暗い。闇は漆黒である。とても怖かったと同時に、そこに、妖しい魅力もあった。死を見つめると、執着心がなくなるような気がする。そして、生きる事を肯定的に捉えるような気がする。わたしの育った家は古くて大きく、天上は高く、闇は深かった。その分、朝日がまぶしかった。
しかし今、どこに行ってもセブンイレブンがある。どこに行ってもテレビもゲームもある。町では明りがどこでも灯されていて、夜空は星も見えないくらい明るい。墓場は妙に奇麗で、病院は清潔である。死臭の少しでもする人は、ホスピスという収容所に入れられる。みんなが健康で、強くて、いつも効率的に動き、明るい笑顔でいることが求められている。
どこにも逃げ場がない。隠れる押し入れもなければ、闇にまぎれて息を潜めることもできない。携帯電話を持っているだけで、世界中のどこにいても居場所がばれてしまう。死を恐れ、ガタガタ震え、涙を見せる、チャンスさえ与えられない。男は強くなくてはならず、女は怒ることも許されない。そうして、みんなが闇を内に抱えて、亡霊のように明るい街灯の下を歩いている。『明るい、便利、平和』と念仏のように繰り返しながら・・。
鬱で1ヶ月以上休んでいる人を抱える会社が、7割以上あるらしい。毎日100人近くが自殺している。
ちょっと前、少年が岡山駅のホームで人を線路に突き落として殺した。恐ろしいことである。しかし、わたしはそんなことをする人間がいることはとうに知っていた。NYでは珍しいことではないのだ。だから、NY人は決して、日本のひとたちのように呑気にホームの端ぎりぎりのところになんて立たない。「黄色い線の内側にお立ちください」なんてアナウンスされなくったて、みんな中央あたりにウロウロ立っている。後ろから突き飛ばされたら大変だもの。NYは怖いところだって?いいえ、わたしは、日本のほうが怖い。だって、この国には、自分から線路に飛び込む人たちが沢山いるんだもの。わたしは、何度も死体の匂いを東京で嗅いだ。たった今人が飛び込みました、という現場に居合わせた。
「人身事故」で電車がしょっちゅう動かなくなるこの国。そして、それが起こっても誰も眉ひとつひそめることもないくらい、感覚が麻痺しているこの国のほうがよほど怖い。NYの人たちは、少なくとも生きようと必死だ。自分から暗い地下鉄の線路に身を投げようなんて・・薬にやられたひとくらいしか、思いつきもしない。
すべてが麻痺してしまう前に、自分の中の闇、そして、自分が死んでしまった後この肉体がどうなるのか、じっくり満月の下で思い浮かべるのが良いかもしれない。こうして書くうちに闇に包まれてしまった庭を見て、そう思う。
明日は、晴れるそうだ。サソリ座の満月がこの小さな庭を照らすだろう。
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