いくつか前のブログで、命は尊いわけではない、と書きました。「?」と思った方もいると思います。池田さんの短気話しを読んで、己を振り返ったので(笑)わたしの思うところを少し説明しようと思います。
あなたは、重病人と接したことがありますか?わたしは、リハビリをしていて1年間、毎日のようにさまざまな重病人と出会いました。酔っぱらってビルの屋上から落ちて、顔中にフランケンシュタインのようなすごいキズを負って、針金のようなものでぐるぐる巻きになっていたまだ若い美しい女性。ガンで足を切断したまだ働き盛りの男性。糖尿病で両足を切断したおじさん。わたしとそう年も変わらないと見える脳出血で半身不随になっていた女性。余命幾ばくもない年寄りなのに神経痛で日々苦しんでいるおじいさん・・・まぁ、それはさまざまな苦しみの最中のひとで溢れかえっていました。
そんな中、わたしは、痛む足を引きずりながらリハビリをしていたわけですが、わたしは自分の足や命が尊いと思ったからリハビリをしていたのではありません。ただ踊りたい一心だったし、手術すれば治ると言われ、リハビリすれば踊れると言われていたのだからそれをまっとうしたかったし、まだ生きているのだからなるべく健康でいたかっただけです。そう、余計に苦しむことを避けたかったから努力していただけです。自分の存在を「尊い」なんて自分で思うのは、人間様くらいでしょう。わたしは、自分を様様とは思えないので、尊いとは思いません。動物と同じように、死ぬ瞬間まで生きることから逃げないことを願っているだけです。
それに、言えません。もう、死んだ方がましくらいの痛みにもだえているひとに、「あなたの命は尊いのだから、生きなさい」なんて。そんなこと言われたら、言われた方は途方に暮れるだろうし、ひとによってはムカつくと思います。
そのひとが生きたくないとこころから思いそれが適当であれば、きっと天はそのような寿命を与えるだろうから、他人が、それがたとえ家族であっても医者であっても、そのひとの命の長さを決めることはないと思うのです。以前にも何度か書いたことがあるおじいさんは、本当に夜も昼も座骨神経痛で苦しんでおり、死にたい、と漏らしていました。
けれど、みんなで「そんなこと言っちゃいけない」って言うのです。医療関係者も家族も。けど、わたしの口からつい出たのは「そりゃ、そうでしょうねぇ・・・」だって「そんなこと言うな」なんて言えなかったのです。気持ちが分かりすぎて。
自殺はすべきではない、とわたしは前回言いました。自殺するひとは傲慢である、とも。けれど、したいと思う気持ちを持つな、とは言えません。わたしもアキレス腱を切って手術し、痛み止めを一斉受けなかったせいで、それこそ地獄の苦しみを味わいました。そのとき思いました。死んでるほうがましだ〜〜!今は、笑って言えますが、あなた、足を切り開いて、中の筋を縫い合わせて、痛み止め飲んでなかったらどぉれだけ痛いと思いますぅ〜???
アキレス腱を切ったからだけではなく、生きていて苦しくて、そこから逃げたくなる気持ちは、いやというほど理解できます。だから、こころから同情します。しかし、だからと言って逃げることを勧めることもできないのです。傲慢だとわかっちゃったから。それに、逃げたところで楽になる保証はありませんし、多分もっとひどいことになるでしょう。
要するに、命は尊いから生きろ、というのと、自殺する、というのはわたしにしたら、同義、同じことに聞こえるのです。命には、なんの価値もないのです。価値があると思うから、ややこしくなるのです。命は軽くもなければ重くもない。尊くもなければ逆に卑しくもない。ただ「ある」。それのみだとわたしは思うのです。
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