それは、冷たい雨の降る昨日の夕方のことでした。わたしは、出先から戻り、駅前の商店街を歩いていました。ふと、家にご飯がないことに気付き、せんべい屋の前で立ち止まりました。つきたてのお餅が置いてあったからです。頭の中で、どうしようかな〜と思いながらぼんやりしていました。その前の晩は、サソリ座の新月で、ほとんど眠れませんでした。夢を見ているのか、起きているのかわからないような、ずっと半分起きたような、半分眠ったような、濃い闇の中で、あちら側とこちら側をウロウロしたような夜でした。それでも朝なんとか起きて出掛け、仕事を終えて戻ってきたのですが、駅についてホッとしたとたんに頭がぼんやりしてしまったのです。それで、『つきたてのお餅』という袋を見て、ぼ〜っとしてしまっていました。餅ってこんな手触りだっけ・・・とか思って、相変わらず、幼少時代のことを思い出したりしてたのです。
そうしたら、突然、後ろから店のおばさんの冷たい声が降ってきました。
「どうします?」
そして、わたしを通り過ぎて、わたしの1メートルほど先にいた、これもおせんべいを見て決めあぐねていた小さなおばあさんのところに行きました。わたしはその時ぼんやりしていたので、おばあさんがそこにいることに気付いていませんでしたが、そのおばあさんは、さきほど、横断歩道を渡るときに通り過ぎた、背中が曲がった小さなおばあさんでした。おばあさんの手には、皺を伸ばした湿った5000円札がありました。反対の手には、いかにも手作りのきんちゃくがあり、そこから出したのでしょう。おばあさんの背中は曲がっているし、ずっとうつむいているから顔を見えませんでした。けれど、足もとはびしょびしょで、髪は乱れており、わたしはドキンとしました。一瞬にして涙がでそうになってしまいました。でも、こらえて見ていたら、せんべい屋のおばさんは相変わらずの声で「どれにします?え、これ、これ、はい、これね」と言って、無機質にせんべいの袋をいくつか選ぶと、その5000円札を奪うようにして受け取り、店に入りました。
おばあさんがうつむいたままなのを良いことに、わたしはちょっとの間おばあさんを見つめていました。足は裸足でビニールのつっかけを履いており、木綿の薄いズボンは膝の上まで雨でびしょvびしょ。肩まである白髪は少しとっぺんが薄くなっていて乱れています。片手には、老人がよく使っている押し車/座椅子があり、小さなビニール傘がその押し車に斜めにかかっていて、おばあさんは、押し車に置いている同じ手でしっかりと半分口の開いたお手製のきんちゃくを握っていました。
わたしは、思いました。あの5000円はどうしたのだろう。おせんべいなんかに使っちゃって大丈夫かしら。それに、3袋もおせんべいを買ってひとりでたべるのかしら。一緒に食べてくれる人はいるのかしら。それとも、たったひとりで食べるのかしら。
おばあさんは、少しゆらゆら揺れるようにして立っていました。わたしはそれ以上見つめると、寂しくて悲しくて涙が溢れるのが分っていたので、急いでそこを立ち去り、暗い道を泣きながら帰りました。
わたしは、毛皮のコートを着ていました。仕事帰りで、都心の高級ホテルでミーティングがあったので、いつもと違う恰好をしていました。けれど、新小岩には、派手な水商売のお姉さんたちがいて、わたしもそのひとりと思われたのかも知れません。わたしはよく、他の国のひとに思われます。今日はアメリカ人に、アメリカ人と思われ「ところで、君は日本に来て何年になるの?」と聞かれたくらいですから・・・店のおばさんは、わたしにも冷たい様子でした。フィリピンパブのお姉さんと思われたのでしょう。
別に、わたしはフィリピン人と思われようがチリ人と思われようが中国人と思われようがアメリカ人と思われようが、一向に構いません。けれど、どうして、ひとはひとに冷たいのだろう。せんべい屋のおばさんは、どうして、おばあさんが「このせんべいはどんな味?」と聞いているのに、返事もろくにしないのだろう。まるで、ゴミでも扱うようにするのだろう。なぜ、あのおばあさんはひとりきりで、ずぶぬれになりながら歩かなくちゃいけないのだろう。長い間生きてきて、いろいろなことがあったに決まっている。でも、誰もおばあさんの話しなんか聞かない。存在を無視するだけではなく、まるで、迷惑なそぶりをする。「あたしは、歯が悪くてね・・」と言っているのに、話しの途中で奪うように5000円札を持って行った。
わたしは、ここに、現代社会の暗い溝を見たのでした。そして、サソリ座の恐れを・・・
サソリ座は死と再生を現すと言いましたが、感受性が非常に強く、いろいろなことを察知するのもサソリ座です。そして、死をもっとも身近に感じ、恐れるのもサソリ座です。また、とっても傷付きやすく、そんな自分を守るため固い甲羅で身を包み、毒までもって相手を威嚇し、自分を傷付けないようにしています。あまりに深く傷付くので、傷付けられたら必ずと言ってその毒をもって復讐をするのもサソリ座の特質です。そうでもしないと、救われないくらい辛いのです。
そして、現代人の多くが、サソリ座のエネルギーに翻弄されているかも知れないと思ったのです。死を恐れ、傷付くことを恐れ、少しでも自分と異質なものを見ると、恐そうなものを見ると、遮断し、壁を作り、ベールを被ります。
多くの女性が、年を重ねることを恐れます。このおばあさんの姿は、すべての女性の悪夢でしょう。そうすると、無視するしかないのです。蔑むしかないのです。そして、水商売の女も、男を奪う、性を売り物にする敵なのです。だから、冷たい視線と言葉を浴びせるのです。
しかし、それで本当に良いのでしょうか。そこにあるのは、恐れ。けれど、その恐れの向こうにあるのは愛です。サソリ座は、性も現すので、性的に奔放な星座だと思われ勝ちですが、そうではありません。死という観念が近くにあるので、性に対する欲望と感心が深いのは確かです。けれど、決して浮気者でも、奔放でもありません。自分がこうと決めた相手には誠実で、深くとことん愛すのがこの星座の特徴です。だからこそ、傷付きやすくもあるのです。かる〜くしかひとを好きにならないひとというのは、かる〜くしか傷付かないものですから・・・。
現代人は、ベールを被っています。自分は傷付かないぞ。自分は平気だぞ。自分はなんともないぞ。そして、寄るな、触るな、傷付けるな、のエネルギーを絶えず放出しています。そんな中、こんなズタボロのおばあさんや、毛皮を着た派手な女は、もう、最大の敵であり、絶対に近づけたくない存在となります。けれど、その差別的で、防御的かつ攻撃的な態度の奥には、愛し愛されたい、永遠に美しくありたい、温もりを感じていたい、傷付きたくない、という、深く切ない望みがあるはずです。そして、ベールを被り、壁を作り、ひととこころとからだを通わせることが少なくなればなるほど、その望みは深くなるものなのです。そして、拒絶されたり、毒をもられた相手も深く傷付きますし、孤独はさらにますことでしょう。
この悪循環をわたしたちは繰り返しているのだ、とふと思ったのです。
闇が深くなり、これから、思索の星座、射手座へと以降してゆきます。(すでに、太陽は射手座に入っています。が、新月のエネルギーは1週間は続きます。)今、このサソリ座の強いエネルギーのあるとき、ベールを脱ぎ、傷付きやすく、恐れている、自分のこころに素直になり、まず自分自身に愛の言葉をかけてあげることが大切だろう、と思います。愛は、己のうちにあるのです。それを静かに見つめ、本当に自分にとって怖いものはなにか、そして、それはなぜなのか、を知り、その奥にある愛の存在を確かめるときです。
電気を消し、ロウソクを灯し、闇の中に自分の愛の姿を見つめてみるのが良いときです。誰にでもある、傷付きやすく、脆く、少し欲張り、けれど深く、誠実を望んでやまない愛。そうすれば、きっと、ほかのひとにも愛を見つけることができるようになることでしょう。そして、サソリ座は自分の弱いところを簡単にひとに明渡すのを嫌います。だから、ひとりでそっと祈ってください。ひとりでそっと自分の傷を見つめてください。涙が流れたなら流すとよいでしょう。わたしが位路地でひとり泣きながら帰ったように。
双子座と射手座のエネルギーが訪れていますから、そのとき、もし、その気持になったら自分の素直な気持を信頼できるひとに伝えれば良いのです。それまでは、しばらく、ちょうど外も寒くなってきたことですから、ゆっくり、ひとり静かに過ごしてみましょう。深い愛をもったサソリ座があなたを包むことでしょう。
















































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